中秋の名月に思う
雲のまにまに姿を隠し、また静かに現れる中秋の名月。 夜空を見上げていると、月は急ぐことなく、ただそこにあり続ける。

今宵、雲の切れ間からのぞく一輪の月に、過ぎた日々への感謝と、これからの日々への穏やかな願いを重ね、満ちた月の光が、遠く離れた大切な人のもとにも同じように降り注いでいると思うと、心まで満たされるような気持ちになってくる。

中秋の名月は、美しさを愛でるだけでなく、静かに自分自身と向き合い、季節と人とのつながりを感じさせてくれる。

花と自然の便りを届けて行きます。
雲のまにまに姿を隠し、また静かに現れる中秋の名月。 夜空を見上げていると、月は急ぐことなく、ただそこにあり続ける。

今宵、雲の切れ間からのぞく一輪の月に、過ぎた日々への感謝と、これからの日々への穏やかな願いを重ね、満ちた月の光が、遠く離れた大切な人のもとにも同じように降り注いでいると思うと、心まで満たされるような気持ちになってくる。

中秋の名月は、美しさを愛でるだけでなく、静かに自分自身と向き合い、季節と人とのつながりを感じさせてくれる。

今日は、以前から一度ゆっくり訪れてみたいと思っていた雑賀崎へランチに出かけた。
「日本のアマルフィー」とも呼ばれる雑賀崎。海に面した斜面に家々が重なる独特の景観は、何度見てもどこか異国の街を思わせる。
路地裏がら眺める海と町並みには、観光地とは少し違う、昔から続く暮らしの匂いが感じられる。
お昼どき、予約していた店でランチ。この地でとれた活魚の寿司料理を味わいながら、ふと箸を止めて「海を眺められると尚いいね」と思った。
美味しい食事を楽しみ、食後は少し周辺を散策。細い路地や坂道、古い家々を見ながら歩いていると、まるで時間がゆっくり流れているような気がする。
遠くへ旅行に出かけなくても、身近な場所にこんなに心を癒やしてくれる風景がある。雑賀崎の漁港と町並みを眺めながら、改めて和歌山の良さを感じた一日だった。
今年の夏も、息苦しいほどの暑さが続いた。朝早く窓を開けても、涼しい風ではなく、熱を含んだ空気が部屋へ流れ込んでくる。「また今日も猛暑日か」とつぶやくことが、夏のあいさつのようになってしまった。
そんな暑さの中でも、夾竹桃だけは少しもひるまない。照り返しの強い歩道や乾いた道路脇で、濃い緑の葉を広げ、赤や桃色、白い花を堂々と咲かせている。その姿を見るたび、不思議と遠い夏の記憶がよみがえる。
大人になって知ったのは、夾竹桃には毒があるという事。そして、広島では、焼け野原となった地にいち早く花を咲かせた「復興の花」として大切にされている事だ。美しさと危うさ、そしてたくましさを一つの木が併せ持っている。そのことを知ってから、夾竹桃を見る度に平和の尊さが身に染みる。